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オレラグ

【アーカイブレビュー 棚からひとつかみ vol.1】2009年J1第1節 FC東京vsアルビレックス新潟

2020年4月25日

こんにちは。
お久しぶりです。

世界中が大変なことになってしまい、様々な娯楽同様サッカーもお預けを食らう形となってしばらく経ちます。そうなると当然ですがレビューもプレビューも書くものがありませんので、このコーナーもしばらくご無沙汰になっていました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

ちなみに私は足首にちょっとした異常が起こり、MRI検査等で少し病院へお世話になった以外は、これといった体調不良もなく、かといってすこぶる元気なわけでもなく、言われた通り極力stay homeしています(その足首も現在は回復済みです)。

リーグが中断してから2カ月が経ち、尚も再開時期は未定となっている現状。
このごろは本や雑誌や動画などでサッカーを学んだり、懐かしいドラマの再放送(“野ブタをプロデュース”はやっぱりおもしろい)を見たりしています。
ただ、どこか味気なかったり、手持ち無沙汰で戸惑いを感じたりする日々であることも事実です。
振り返ってみれば6歳とか7歳の時にサッカーやアルビレックスと交わり始めたので、これだけサッカーのない日常を過ごすのは人生でほぼ初めての経験といっても過言ではなく、戸惑いを感じるのも無理のないことだと改めて気付かされました。

そうなると、結局手が伸びるのは過去の試合ということになります。
そんな迷えるサッカー好きの需要に対して、過去の名勝負を提供してくれているNHKさんやDAZNさんには大変感謝しているわけですが、それと同時にやっぱりアルビレックスの試合も見たくなってしまうわけです。

ということで、どうせ見るのであれば昨年からこうしてやっているレビューも書いた方が楽しいし、自分の学びにもなるだろうということと、オレラグで最近モアブログコーナーも出来たからそのアーカイブ企画に乗っかろうという意味も含め、過去の試合のレビューを書いてみることにしました。

題して「アーカイブレビュー 棚からひとつかみ」

後半部分は聴き馴染みがある方も多いと思いますが、はいそうです、日曜の昼下がりにやっている某ラジオ番組のやつです。かっこよくて使ってみたかったので勝手に拝借しました。
ただ、一応今回vol.1としていますが、今後どの試合を見て書くとか、いつまでに書くとかは決めていません。ひょっとすると中断中この記事だけになるかもしれません(そうなったらすみません)。
ですので、期待してお待ちくださいなんて言えませんが、とりあえず今回の記事は暇潰しにでもご覧いただけたらと思います。

開幕戦初勝利

さて、最初に取り上げてみた試合は今から11年前、2009年3月7日に行われたJ1リーグ第1節、FC東京vsアルビレックス新潟です。

とりあえず両チームの当時の状況を簡単におさらいしておきましょう。

我がアルビレックスはこの年がJ1での6年目のシーズン。
前年の08年は最終節に内田潤さん(以下ウチさん)の劇的なアディッショナルタイムのゴールによってなんとか自力残留を果たすというシーズンでした。
その苦戦した大きな原因として指摘されていたのがリーグ最少得点(32点)に終わった攻撃力です。その明確な課題の克服のためにマリノスから大島(オーシ)、大宮からペドロ・ジュニオール(ペドロ)、横浜FCからヨンチョルなどの攻撃的なタレントの補強を行いました。
さらにそんな攻撃陣を活かすため、就任4年目だった鈴木淳監督(淳さん)は基本のシステムを4-3-3へシフトチェンジして開幕を迎えました。

対するFC東京は99年にJ1昇格を果たしてからちょうど10年目のシーズン。
監督は就任2年目の城福浩監督。
それまで速い攻撃を売りにしていたチームにポゼッションを軸としたムービングフットボールという新たなスタイルを持ち込み、就任初年度からリーグ6位という好成績を残しました。
迎えた09年は、選手の入れ替えを最小限に抑えつつスタイルの浸透を深めて進化をしながら、さらに上位進出を目指すといったシーズンでした。

ちなみにこの年のこの開幕戦が、今やJリーグの中でも屈指の人気を誇る東京ドロンパのお披露目の日でもありました。

前半

序盤は両チームともリスクマネージメント最優先で、守備への意識を非常に強く持って入っていたように思います。
それは無理に繋ごうとしていないことや、相手の縦パスに対してはとにかく自由にやらせない、ラフなプレーは避けつつもファール覚悟で止める姿勢などから見て取れました。

考えてみれば開幕戦らしい堅い展開だったわけですが、少しずつ「東京の方が落ち着きを取り戻して」(淳さん)新潟は押し込まれていきます。
17分、右サイドの長友から内側で受けた今野がスルスルと持ち上がってアーリークロス。フリーの赤嶺がヘッドで合わせるも枠の外へ。

試合後のコメントで淳さんは「大崩れはしていなかったので、それほど心配はしていなかった」と仰っていましたが、落ち着きを取り戻せず全体が受ける展開になってしまう中で、このシーンのようにボールホルダーへの寄せが甘くなってピンチを招くシーンを作られてしまっていたのも事実でした。

東京はSHが内側に入りSBが高い位置に出た中で、ポゼッションでも優位に立つことで押し込む狙いが見られました。とはいえ丁寧に繋いで崩しに行くというよりも、狙える時は躊躇なくFWへ当てることであったり、サイドのスペースへ送ったりという比較的シンプルな形によって、決定機やそれに準ずるようなチャンスを作っていたように感じました。
また、それを可能にしていたのは新潟のプレスが前から行き切れなかったことや、それに伴って奪いどころがハッキリしていなかったということも原因としてあったかと思います。
どうしても東京の4バックに対して新潟の前線は3トップで1人少ないため、インサイドハーフが前に出て人数を合わせて嵌めに行くシーンというのが、ないことはなかったのですがほんのわずかしかなく、それもあまり連動していたわけではなかったので、基本的には東京のCB1人に余る形でボールを持たれて、そこからFWやサイドにボールを送り込まれてしまいました。

さらに、なんとか東京の攻撃をしのいでマイボールにしても、縦パスには厳しいチェック(前線のオーシに対しては特に)でボールが入らず、ウイングの貴章やペドロも外側や後ろを向いた状態でボールを受けることが多く、孤立して囲まれてしまうことが多くありました。
加えて、試合後に淳さんが「サイドバックを起点にしたかったが、相手のプレッシャーで前にボールを運べないような状態」と仰っていた通り、東京の2トップはまずアンカーの勲さんへのパスコースを消してからCBへプレッシャーをかけてボールを外側へ追い出し、SBに出たら奪いに行くスイッチを入れるということが徹底されていました。
城福監督が「前半はほぼうちのゲームプラン通り」と仰っていたのも肯定せざるを得ない内容でした。

それでも、フットボールというのは分からないもので、だからこそおもしろいということを証明するかのように、前半終了直前のラストプレーで先制点を奪ったのは劣勢の新潟でした。
ジウトンの思い切った運び出しとペドロの強引な突破から奪った左のCK。
松下のボールに合わせたのはジウトン!
マークを外し、フリーの状態でドンピシャで叩きこみました。

この機会にいろいろな資料や情報を物色する中で見つけた、当時中学生だった自分が書いた観戦記に「守備には難があるようだが」なんて書かれていたジウトン(生意気な中坊でごめんなさい)。
確かにDFではありながら決して守備で安定感のあるタイプではなかったですし、実際この試合の前半も主に押し込まれたのはうちの左サイドからだった印象でしたが、それでも積極的な攻め上がりはわくわくしましたし、見ていてとても楽しい、インパクトのある選手だったことは今でも鮮明に覚えています。
4年ほど前に甲府で少しだけプレーしていましたが、ちょっと調べてみたところ昨年はブラジル・パラナ州の州都であるクリチーバにあるトリエステというクラブでプレーしていたようです。
20歳でイケイケなプレースタイルだった彼も30歳になったようですが、とりあえず元気にやっているのであれば何よりです。

前半終了、0-1。新潟の1点リードで折り返します。

後半

両チーム選手交代なしでスタートした後半は、立ち上がりから前半とは打って変わって新潟が積極的にプレッシャーをかけられるようになり、そのいい守備から推進力を持って素早く攻めこむ勇敢な姿勢が見られるようになりました。
50分には、先制点の起点と同じようにジウトンが持ち出したところから、マルシオとのワンツーでゴール前に侵入してヘディングシュートを狙います。
ここはこの日がプロデビュー戦だったGK権田にキャッチされますが、前半では30分も要した最初のシュートシーンをたった5分で作りました。

マイボールになった際に、前半は前線が孤立したり、中盤でフォローがいなかったりしてすぐにボールを失うというシーンがよく起きていましたが、後半に入ると選手同士が近い距離でボールホルダーに対して顔を出しつつ、そこから空いたスペースや逆サイドの選手を使うということができるようになっていました。
キャンプから取り組んでいたとはいえ、新しいシステムである4-3-3で臨む最初の公式戦ということもあって、もしかするとその形に固執し過ぎてしまい、前半は選手の孤立を生む結果になっていたのかもしれません。

それでも、先制点の時と同様、再び試合の流れとは逆行する形でゲームが動きます。
52分、権田のリスタートを起点に、中盤でのセカンドボールを今野が拾うと、羽生、近藤と中央の狭い局面で繋いで、近藤がエリアの外から左足一閃。ボールは低い弾道で見事にゴールの隅に突き刺さりました。同点。

しかし、この同点ゴールは後半の頭から感じられた新潟のポジティブな流れを止めるには十分ではありませんでした。
近藤のゴールからたった2分後。
右から松下のCK。ボールに走り込んだオーシはDFに抑えられて触れませんでしたが、後ろにいた千代反田に跳ね返ると、待ってました!とばかりに押し込んだのはペドロ!勝ち越し。

試合後に城福監督は「強く反省しなければいけない」と仰っていましたが、東京からするとCKという先制点と同じ形で取られたこと。そして何といっても同点にした直後というタイミングで奪われたこと。
この2つのポイントが、東京にとっては単純に勝ち越された事実以上に大きなダメージとなっていた気がしますし、結果的にこの日の勝敗を左右する大きな分岐点となるゴールだったように思います。

さらにここから新潟のチャンスが続きます。
55分、意表を突いたクイックリスタートからジウトンが左サイドを突破して深くまでえぐり、マイナスに送ったボールをマルシオがシュート。
58分、ウチさんが中盤まで出て相手に圧力をかけたのを起点に貴章がボールをカットすると、貴章のパスを受けた松下がドリブルからシュート。
60分には、東京のクリアを永田がヘディングで跳ね返すと、裏に流れたボールを貴章がダッシュで追いかけて残し、左サイドから右隅を狙ったコントロールシュート。
いずれのシュートもゴールとはなりませんでしたが、この時間帯で勝負が着いてしまっていてもおかしくないくらい、ペドロの勝ち越し点から新潟の勢いは加速していました。

対するFC東京は62分に金沢→鈴木達也、64分に近藤→カボレ、羽生→ブルーノ・クアドロスと矢継ぎ早に3人の交代枠を使い切ります。
この交代に伴いカボレはそのままFW、鈴木は右SHで梶山が左SH、ブルーノ・クアドロスと今野が中盤中央にいるような形になり、またブルーノ・クアドロスにはマルシオへのマークが指示として出ていたようです。
ただブルーノ・クアドロスに関しては、マルシオへのマークだけでなくかなり前に出てアンカーの勲さんまで奪いに来ることもあり、トップ下のように振舞っていた印象もありました。

しかし、そんな反撃を試みようとする東京を気にする素振りもなく、新潟が点差を広げます。
68分、平松から茂庭へのCB間のパスをカットしたオーシが、対峙した茂庭を抜き切らずに左足でゴールの左隅へ!3点目!
このオーシのプレー。
右足で少しフェイントを入れて、オーバーラップしたマルシオを囮にすると、茂庭が少しマルシオを気にして右側へ動いたのを見逃さず左側へ持ち出してコースへ流し込むという見事なプレーでした。
左足のシュート自体も非常にシャープな振りで、力の入ってないスマートなシュートでしたし、高い技術を誇るまさにオーシらしいゴールでした。

まだまだ新潟の攻撃は止まりません。
72分、中盤でブルーノ・クアドロスから勲さんがカットすると、こぼれ球をウチさんがワンタッチでマルシオへ縦パス。ライン間で受けたマルシオがドリブルで少し運んでからスルーパス。抜け出したペドロは前へ出てきた権田を嘲笑うかのようにちょんと右足でゴールへ!4点目!
そして響き渡る蹴散らせ。爽快です。

残り10分を切ってから新潟は、81分オーシ→ヨンチョル、87分松下→千葉ちゃん、アディッショナルタイムに入ってからマルシオ→高徳と3人の交代を行います。
ペドロを3トップの中央に移して、ヨンチョルが左。千葉ちゃんがアンカーに入って勲さんをインサイドハーフに上げて、少しずつ守備の色合いを濃くする手堅い策を講じつつ、最後にこの年がユースからの昇格1年目だった(前年の天皇杯で既にトップデビュー済み)高徳も起用しました。

正直75分のカボレのシュートや、78分に勲さんが自らのミスで失ったボールを取り返すために慌ててファールを犯してイエローを受けたシーンなど、何とか点差をつめるために前掛かりに来る東京に対して、上手にボールを動かせず、締めはスマートなゲーム運びだったとは言いきれませんでしたが、それでも最後は体を張って追撃弾は許しませんでした。

試合終了、1-4!
J1昇格後、6回目にしてようやく開幕戦初勝利を挙げました。

偽SBの先取り

改めて久しぶりに見ていろいろと気付いたことや感じたことがあったのですが、その中で特に印象に残ったのがウチさんのプレーでした。
何が特に印象に残ったかというと、中央でプレーする機会が自分の覚えていた記憶よりも断然多かったということです。

まず守備においては、マッチアップする相手の左SHが内側へポジションを取ってボールへ絡もうとするのに対して、本来のポジションを空けながらでもしつこく付いて行って守っているシーンがよく見られました。
当然自分の本来のポジションを空けるということはリスクがあって恐さもあることですが、その留守にするスペースを相手のFWやSBが狙えそうなタイミングであれば、ある程度ステイして、そうでなければ中央まで付いて行くという判断が的確でした。
さらに、空けることになる本来のスペースを使われないようにした上で、中央まで出て奪いに行く判断の方をなるべく多く選択できるようにしていたのがまた見事でした。
もちろん、これに関してはウチさんだけではなく、カバーに戻る勲さんや貴章の献身性、CBも含めたスムーズな周りとの連携もありました。

そして、さらに印象的だったのが攻撃面です。
中央まで出て守備をした後、一旦本来のサイドに戻ってから攻撃参加というのが一般的な動きの中で、ウチさんはそのまま中央に残ったまま攻撃の起点としてボランチ然としてプレーするシーンがかなり多く見られました。
4点目のペドロのゴールの起点がまさにそうでしたが、あのゴールシーンだけ偶然だったのではなく、試合を通じて狙いながらプレーしていたように見えます。
意図としては、奪ってから狭い局面において、時間としてはわずかだとしても数的優位を作ることで、よりゴールに直結しやすい中央から速く攻められるようにするためであったり、マルシオにボールを受けるために下りるという労力を使わせずに、できるだけ高い位置でプレーさせるためであったりということだったのかなと推測します。
実際、ウチさんが中に入ることでマルシオが下りないで外に流れて起点を作るというシーンも何度かありました。

これで感じたのは、グアルディオラがバイエルンを指揮していた5,6年前から一気に各地で普及して、昨年J1を制したマリノスもやっていたことですっかりJリーグでもおなじみとなった偽SB的な形と、細かい運用などは違えど、狙いや形はよく似ているということでした。
まだ不勉強なので、歴史を紐解けば似たようなことはこれ以前にもやっていた選手はいるのかもしれませんが、とりあえずフィリップ・ラームより内田潤が先だったということに気付けたのは嬉しい発見でした。

淳さんとJの強度

その他に感じたことで言うと、淳さんは選手交代のタイミングが試合の終盤になってからのことが多くてかなり慎重なタイプの方だったなぁということを久々に思い出しました。

これは別に早ければいいとか遅いからダメということではもちろんありません。
ウチさんも当時雑誌のインタビューで「淳さんは選手交代でなかなか動かないし、采配で試合を一変させるといったことには縁のない人」と仰っていたのと同時に「やり方や態度を変えることがないからこそ、選手が迷う事もない」とも仰っていました。
正直もっと早く動いてほしいと思ったことも何度かありましたが、「動きゃいいなんて簡単な話しではないんだよ」と当時の自分に今なら教えられるような気がします。
まあ、まだまだサッカーは分からないことだらけで、そのおかげで未だにおもしろくて仕方ないわけですが。

もう1つ。
これはアルビレックスではなくJリーグの話ですが、この11年前の試合を見て、やはり現在よりも細かく厳しくファールを取っている印象を受けました。
試合中に実況の方が、この年のレフェリング基準としてアクチュアルプレーイングタイムを伸ばすということを紹介されていましたが、それでもやはり今なら流してもいいように感じるところで笛が鳴っていたように感じました。
逆に考えてみれば、この時から10年以上経った中でJリーグの基準もかなりコンタクトプレーに寛容になって、選手もタフになっているということなのかなと思います。

最後に

結局通常通り長々と書いてしまいましたが、いろいろ蘇ったり、気付かなかったことに気付けたりと、十分に楽しめました。

そして、ウチさんと契約解除という形で突然お別れすることを、よりによってこの記事が書き上がりそうというタイミングで聞くことになるとはまさか思いませんでした。
細かいことは分からないですからどう受け止めていいのかもなかなか難しいのですが、とりあえずそれはそれとして、現代にも通ずるような内田潤という選手のすごさを再発見できたという意味だけでも、こうして過去の試合を改めて見て、そして記事にしてみた今回のこの時間は大変有意義なものでした。

くりはら
くりはら
鳥屋野潟ほとり出身のアルビレックス新潟サポーター。海外はアーセナル推し。Jリーグ、海外、2種、3種、女子、その他、カテゴリーは問わずサッカーが好き。ラジオも好き。某坂道グループもちょっと好き。