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【燃え上がれ清五郎】安心する場所
全国の新入社員のみなさん、いかがお過ごしでしょうか?順調ですか?怒られてますか?僕は先輩に怒られてます。
今年の3月に大学を卒業し、働きはじめて1カ月が経ちました。わからないことだらけで、目の前のことをやるのに精一杯。ぬあー!失敗して怒られてへこんでいるし、緊張と気疲れで肩はガチガチ。帰ってきたらクタクタです。いやーそれにしても、帰宅後のビールが美味いですね。こうやってオヤジ化していくのでしょうか。そんなバタバタな平日を過ごしております。それでも、サッカーバカな僕は、相変わらず週末のサッカーが楽しみで仕方がありません。
4月25日、金曜日。しかも、初めての給料日。同期からは当然、飲みに行こうぜー!とお誘いがありました。僕はそれを必死に振り切り、夜行バス乗り場へ。徳島へ向かいます。入社1カ月で「またサッカー?」と聞かれるくらいには、サッカーキャラが定着しました。バカだなぁと自分でも思います。10時間バスに揺られ、スタジアムに到着すると、スタンドはオレンジで埋まっていました。
そして、久しぶりに親に会うのが徳島になるとは思いませんでした。実家に帰るよりもスタジアムで会う回数のほうが多いかもしれません。子も子なら親も親ですね。徳島に集った新潟サポーターは、およそ1000人だとか。やっぱりみんなもバカだなぁ。あ、全力で褒めてます。バカだなぁと思うものには惹かれますね。なんだか好きだなぁ。安心するというか。スタジアムってそんな場所だと思います。
そんなことを思っていたら、小学生のときに感じていたことを思い出しました。僕が新潟に住んでいたのは、13年ほど前です。
まだ、アルビレックスはJ2に在籍していました。当時のアルビレックスのブラジル人選手が通っていた、とあるラーメン屋がありました。多くのサポーターも訪れるお店です。そのお店のご主人ももちろんアルビレックスサポーター。当時、小学生だった僕は、親に連れて行かれて、そのラーメン屋さんによく通っていました。ご主人と話すのは、サッカーの話題。小学生ながらにサポーターのみんながいることで安心していたのかもしれません。サポーターの居場所ってスタジアムだけではないのだなと。今でも新潟に帰ると、たまに立ち寄りますが、いつでも優しく迎え入れてくれます。やはり行くと安心するんです。
新潟を離れ、大学生になると、観に行けない試合はスポーツバーで観るようになりました。関東に住んでいても、アルビレックスの試合中継をしているスポーツバーには必ず知り合いがいます。同じアルビレックスサポーターに会って感じる安心感は、小学生の時に感じていたものと同じかもしれないなと気づきました。
関東に住んでいるサポーターが自然と集ってくる。そこで知り合った人をスタジアムでも見かけたりして、仲良くなっていく。
僕は、関東で生まれるそんな緩い繋がりを“アル関”と呼んでいます。共通点はアルビレックスサポーターという点のみ。大学に通ってるだけじゃ、大人との関わりって増えないですよね。本当に様々な背景を持った人生の先輩方のお話を聞いているだけで楽しいわけです。バカだなぁと思う人ばかり。あ、もちろんいい意味で、です。試合がなくても飲みに行ったり、関東から観戦バスツアーに参加したり、フットサルをみんなでやったり。
こんな事もありました。3年ほど前の数人での飲み会の出来事です。
当時、大学生で飲み会の中で最年少だった僕は、会計を買って出ました。お金を集めていると、自分の分が払われています。あれ?しかもお釣り余ってますよ?飲み会の後に財布の中身が増えてるなんて、普通ありますか?(笑)
アルビレックスを応援しているという共通点だけで、楽しい繋がりが生まれています。この楽しさを上京してきた人たちに伝えたいと思って始まったのが、先週の粕谷くんのブログでも紹介していた、アル関プロジェクトだったわけです。現在の緩い繋がりのある“アル関”が、これからどのように変わっていくのでしょうか?
働き始めてから、性別も年齢も関係ない場所に居られることのすごさを実感したのでした。
学生のときに奢ってもらったように、僕も奢れるようにならないとですね。稼がなくては!
青木優太
1990年生まれ。新潟市出身、川崎市在住。社会人1年目。
小学生の時に通ったサッカースクールがきっかけでサポーターに。
新潟→仙台→横浜→川崎と移り住むも、スタジアムに通う日々。
関東からもアルビレックスを盛り上げようと活動中。