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【燃え上がれ清五郎】サポーターズアワードを復活させたわけ

2014年12月25日

2014年12月25日

えのきどいちろうさんが新潟日報に隔週で連載している「新潟レッツゴー」の12月23日号をご覧頂いただろうか?えのきどさんは僕らが21日に実施した大忘年会イベントAlbirex Supporter’s Awards2014(以下アワード)の事にふれてくれた。

DSC_2703.JPG もともとこのイベントはJ2をこじらせていた2001年、「J-league awards」など華やかな舞台に縁がなかった僕らが「無いものは作ろう」と自ら立ち上げたものだ。サポーターズCDのプロデューサーでもある浅妻信さんが第一回目を立ち上げた。初回参加人数は実に20名。僕はその第1回アワードで見事サポーター賞の一つを受賞した由緒あるサポーターだ。さすが浜崎さん。(第1回嫌われ者サポーター大賞受賞)
 
このイベントは2007年まで毎年行われ、最盛期(2004年、2007年)では今は無きライブハウス新潟フェイズで450人以上を集めたイベントになった。しかしここでアワードの歴史は一度途絶える。理由は2つ。1つは規模が大きくなりすぎて非常にヘビーになってしまった事。もう1つは2008年に生まれた会員数2500人超のSNSサポーターズリンク(サポリン)の存在だった。僕はサポリンの運営にも携わっていたし、ゴール裏の中心人物でもあったし、アワードの代表主催者でもあった。簡単に言うともうやってらんなくなったちゃったのだ。(その代り「サポーター全員集合」という新しいイベントを立ち上げたので許してちょ)
 
そのアワードを僕は今年復活させることを決めた。これは突然思いついたことじゃなくて、実は新大プロジェクトを立ち上げる事を思いついた2012年12月からもう僕の頭にはあった。あの手のイベントを成功させるには「企画力」と「実行力」だけじゃダメで、むしろ重要なのはスタジアムの住人が作り出す「現場感」だ。この現場感を誰が出すか、どうやって作るか、それはここ数年の僕には解決できない課題だった。ところが、新大プロジェクトをはじめとする学生勢力の勃興と林太郎や恭平や現コールリーダー史貴(フミタカ)がスタジアムで力をつけてきたことで僕は「行ける!」と確信したのだ。
 
DSC_2757.JPG当時の幹事グループからはイベント仕切りに景品提供に選手とのパイプに抜群の力を発揮したサッカーショップ24の西塚さんと、そもそものコンセプトメーカーだった浅妻さんが抜けていた。そこを今回も継続幹事であった僕と小野さん(サポリン初代代表)やスタジアムDJの森下さんで埋め、当時僕らがやっていた仕事を学生サポや現ゴール裏のサポにゆだねる形で幹事グループを作ることができた。
 
僕はずっと負い目があった。それは2001年から2007年までのサポーター黄金時代に、ありとあらゆる成功体験を僕らビッグスワンバブル世代が全部食い尽くしてしまっていたのではないかという事だ。年金制度で得をする世代が本当は何かを下に返さなければならないように、ビッグスワンバブル世代の務めは新潟サポーターの良い所を今の新世代サポーターにきちんと継承する事だと思う。それは口で言って伝える事ではなくて、一緒に何かを作り上げる事でしか伝わらない。今回、沢山の人たちと成功体験を共有することができた。
 
僕らビッグスワンバブル組が新幹事軍団に出したスルーパス。そして新旧幹事組が参加者の皆さんに出した楔のパス。このパスは来年どう化けるか。うへへ。
 
それでは皆さんよいお年を!


 浜崎 一

1977年生まれ。神奈川出身だが、新潟大学進学という理由で偶然新潟に移り住む。大学院時代にJ2初年度のアルビレックスにはまり、その後10年間事実 上のコールリーダーとしてアルビレックスの応援の最もホットな部分で活躍。現在はゴール裏を離れ、市民レベルでサポータームーブメントを起こす仕掛け役と なっている。