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スタジアムは感情を爆発させられる場所であってほしい。【サポーターズコラム】

2020年12月9日

会場が「ひとつになる」という言い方をすることがある。サッカーに限らず、他のスポーツや音楽のライブなどでも同様だ。ただ、ひとつになる、という表面だけの言葉に違和感がある。個人的には、みんなが1つの方向に向かって同じこと考えている状態は、ありえないと思う。それぞれが別のことを考えているかもしれない。見ている場所が違うかもしれない。特に個性が強いサッカー選手であれば、監督の指示にすべて従って動くことはありえない。監督の指示の下、自分の考えで動くことが当たり前だ。監督や周りの選手に怒られないように動く選手は、得てして消極的に見えてしまう。

声援を送るサポーターも一緒で、こんなこと言ったら周りになんて思われるかなとか、自分の意思ではなく周りを意識して合わせて拍手しようとしてしまう。もしくは、プレーそのものよりも、選手のミスやファールに過剰に反応してしまったり、そうしている人が気になってしまったり。周りの人が気になり、試合に集中できていない瞬間がある。そんな状況は誰しも経験があると思う。

しかし、そんな自意識をぶっ飛ばす瞬間がスタジアムにある。それが「ひとつになる」瞬間だ。一人の力では作り出せない。いくつもの素晴らしいプレーの後かもしれないし、大きな声援が重なった瞬間に生まれるのかもしれない。きっかけは誰にもわからない。

ひとつになっている瞬間というのは、なんとも形容しづらいのだけど、自分がなくなったように感じる。周りの人を意識することなく、勝手に拍手しているし、身体が勝手に動いている。あくまで憶測だけど、きっとその瞬間は、選手も考える前に勝手に身体が動いている状態なんだと思う。

嫌われないように。文句を言われないように。恥ずかしながら、そんなことをずーっと気にしながら過ごしていた子ども時代だった。ウンともスンとも言わない静かな子どもだと言われながら育った。人の目を気にしすぎた結果、何も言わないで黙っていれば何も起きなくて良い、と考えてしまっていた。

そんな僕でも、唯一感情を爆発させられる場所がサッカースタジアムだった。自意識がどこかに飛んでいって、スタジアムがひとつになった経験をした。目の前の試合に夢中になると、そこには自分はなくなって、会場に溶け込む。自分が他人からどう見られるかを気にしなくなっている。叫んだり、手を叩いたり、思いっきり悔しがったり、ゴールが決まって騒いだり。

グレーがかった日常に色が戻ると言うと、少し大袈裟かもしれないけど、ビクビクしながら過ごしていた時間から解放される、小さな僕からしたら本当に救われる時間だった。少し大きくなって、日常生活でも徐々に社会に溶け込めるようになったのは、紛れもなくサッカーのおかげだった。

と、そんな昔のことを、SNSを見ながら思い出した。

みんなが誰かの目を気にしている。ツッコまれないように細心の注意を払っている。意味のあることを言わないといけない気がしてくる。お互いに監視しあって揚げ足取りの応酬。コロナ禍では、気持ちがささくれて過敏になるのも無理はない。そう見えているのは僕だけかもしれないが。

気づけば僕は、SNSではっきりと自分の意見を言うのをやめていた。逃げに見えるかもしれない。というか逃げた。常に人の目を気にし続けるのは強いストレスだった。子どもの頃のあの日々を思い出して本能的に防衛したのかもしれない。

この数ヶ月、例の件に関してクラブに言いたいこともあったが、思ったことを感情的にSNSでぶつけるのは意識的にやめた。クラブにとって時には批判も必要だ。SNSでの民意はあって然るべきで、それを否定する気は全くない。ただそれにみんなが無理に参加する必要はない、とも思う。

1ヶ月間、Twitterをやめてみた。嘘のようにストレスはなくなった。トゲや悪意のある言葉を目にしないだけで、こんなに楽になるのか。ところが、欲しい情報もみんなの意見も入ってこない。困った。まだこれを書いている今もどう向き合えばいいか分かっていない。

SNSで直接想いを伝える方法もある。でもそれだけではない。感染拡大が続いている今は、声援は送れないけど拍手でチームに想いをぶつけようと思う。スタジアムは、いつまでも、誰であっても感情を爆発させられる場所であってほしい。

aoki
あおきゆうた
新潟市出身川崎市在住。フロンターレ一色の街中からアルビレックス新潟を応援しています。