オレラグ
みんな同じ立ち位置のサポーター
今日は先日ふとした折に感じた私の率直な想いについて書きたいと思う。
私は自身のことを2017年の5月からの比較的新米のサポーターと自覚しているが「サポーター」を名乗るには何か基準があるのだろうか。
何年、何十年と応援している
シーパスを購入している
後援会に入っている
シーズンユニを購入している
グッズ購入でクラブに貢献している
ホーム皆勤賞
アウェイ参戦をしている
クラハに行ってる
ゲーフラを作っている
段幕を持っている
どれもこれも素晴らしいと思う。
でもこれらを満たしていないとサポーターと言えないのだろうか。
私は全くそんなことは無いと思う。
応援する気持ちさえあれば誰もがその瞬間からサポーターだ。
サポーター歴の長短があってもそこに優劣は無いと思う。
私は2018年の夏くらいからある観戦グループに入れてもらい、ホーム戦はN1層の真ん中辺りで観戦している。それ以前は中心部から遠く離れたところでひっそりと応援していた私が今ではこんな中心部で応援をしているのだ。
2017年以前の私はアルビに興味がなかった。
気まぐれで観戦に行く程度で行っても興味があったのはブラジル人選手のみで、日本人選手には何も惹かれなかった。
なぜならブラジル人選手はとても楽しそうにプレーしていたけど、日本人選手はどこか辛そうにプレーしているように感じたからだ。
だから私は2017年以前に観た試合でワクワクしたことは一度も無かった。
クラハにも行くことはなかった。
対応が良いのはブラジル人選手だけで日本人選手は塩対応。
そういう印象だったからクラハには行かなかった。(今は行ってるけど!笑)
だから2017年以前は試合中もゴールが決まったら素直に嬉しいけど、ゴールを決められたら『あー残念だね』のその程度。
私は傍観者だった。
そんな私が『人生の趣味』としてアルビにハマったのは2017年5月に呂比須監督が就任してからだ。ハマった理由を言葉にするならその頃から日本人選手の一生懸命さが私に伝わってきたからだと思う。
呂比須監督はこう言った。
『音楽ではなくサポーターの声を聞け』
『どれほどの期待と思いを込めて応援してるのか目を合わせれば分かる』
その言葉は私にも突き刺さった。
私はそれまでドライに生きてきて、自分の周りの人のことを考えない人間だった。心配してくれてる声や好意に目を背け投げやりに生きてきてた。そんな私だったから呂比須監督の言葉が胸に響いたのだろう。
そしてそれは今までなんとなく応援してた人間が真剣に応援したくなる【アイシテルニイガタ】になった瞬間だ。投げやりに生きてきた私が、他人を思いやれるように生まれ変わった瞬間だ。
そして忘れもしない2017年9月。
ある選手のプレーに心を奪われた。
私はその頃ある事情で人間不信だった。
家族も彼氏(今の旦那)も友達も何もかも信じられなくなり世の中に絶望していた。
そんな私を救ってくれたのがアルビレックス新潟に所属していた河田篤秀選手だった。
前に進むことの素晴らしさ。
諦めないことの素晴らしさ。
ポジティブな考え方、優しい人柄。
クシャっとした笑顔に目尻のシワ。
笑うとちょこんと覗く八重歯。
関西弁だけど優しさに溢れてる喋り方。
落ち着くトーンの声…。
河ちゃんの色々な良いところが私を前向きにしてくれた。
今思えば河ちゃんが居たからアルビレックス新潟を応援していたのかもしれない。河ちゃんは徳島に移籍してしまったけれど、私はアルビにどっぷりハマってしまったからもう抜け出せないだろう。
サポ歴の長さなんて関係ない。
アルビを愛してる。
アルビを応援したい。
そういう気持ちがあればみんながすでに同じ立ち位置のサポーターだと思う。
サポに上とか下は絶対にない。
夕方のニュースでアルビが流れた際に学校や会社のアルビサポの知人を顔が浮かぶ。
翌日に会った時に
『昨日勝ったんだ。良かったね』
『今回は負けたのか。次は勝てると良いね』と声をかける。
ビッグスワンには行かなくてもアルビを応援する人を気にかける。
これだけでもうサポーターだと思う。
だから
段幕がなくても。
ゲーフラがなくても。
ホームに行けなくても。
アウェイに行けなくても。
シーズンユニがなくても。
シーパスを購入してなくても。
後援会に入っていなくても。
クラハに行けなくても。
アルビを応援してるなら。
アルビが好きなら。
アルビ好きの知人を応援してるなら。
応援年数に関係なくそれはもう立派なサポーターなんだよって思う。
私達はみんな同じ立ち位置にいるのだから。