オレラグ
私とアルビレックス
4歳の時、両親に連れていかれていたビッグスワン。私はその景色をまったく覚えていません。その当時は、たまーーーに試合を見に行くだけでとてもサポーターと名乗れはしませんでした。しかし、いつしか「試合を見に行く」から「応援しに行く」ようになりました。週末にアルビレックスの応援をしにビッグスワンに行くことは私の日常になっていました。
ある日、幼かった私は熱を出して泣きじゃくっていました。相当つらかったのか、痛いところでもあったのか………。
泣きじゃくった理由はそのどれでもありません。その日はホーム浦和戦、私は試合に行きたくて行きたくて泣いていました。父に「今日はお休みだね」そう言われたことが相当ショックだったのか今でも窓から外を覗いて号泣していた記憶があります(笑)それだけその頃の私にとってアルビが大切なものだったんだなあと思います。
もう1つ、はっきりと記憶に残っているのはJ2優勝、J1昇格をきめた試合です。きらびやかなライトで照らされるスタジアム内、ピッチには喜びに溢れた選手達、近くの仲間達と喜びを分かち合うスタンドのサポーター。あの景色は部分的な私の記憶にしっかりと焼き付けられていて忘れられません。
そして、アルビレックス新潟というひとつのチームで何万人もの人達がひとつになれることに感動しました。
すごい。本当にすごい。
そう思いました。なにかに熱くなれるってすごく楽しいんだ、とも思いました。
でも、そんな私もずっと応援していたアルビから離れたことがない……わけではありません。(笑)気づいたらサポーターだった、という認識だったので思春期を迎えた頃、私は自らアルビレックスを遠ざけたことがあります。 いわゆる反抗期みたいなものです。
その反抗期が始まったのは中学生の時です。家族でサポーターということが恥ずかしい、どうして親の趣味に付き合わなきゃいけないんだって思っていました。部活が忙しかったので本当に行けない試合も多くありましたが、部活の休みと試合が被っても、「疲れてる」なんて理由をつけて試合に行かなかったこともあります。ほぼ毎試合行っていたホーム戦が年に数試合しか行かなくなりました。学校の友達にも自分がアルビレックスが好きだということを隠していました。アルビなんかそっちのけで、部活に熱中し、友達と遊び、行事に全力で取り組んでいました。家族にも反抗的だったかもしれません。
私がどうして部活や行事や友達と遊ぶことに熱中したのか。
それはなにかに熱くなることが楽しいということを知っていたからだと、高校生になってやっと気づきました。そうです、それを教えてくれたのはアルビレックスでした。行けなくて号泣するほど好きなアルビレックスでした。どうして変な意地を張っていたのだろう。そう思って、ようやく反抗期を抜け出しました。
そこから私のアルビレックスへの熱量はどんどん大きくなりました。私や妹も大きくなったので家族でアウェイに行くことも増え、よりアルビレックスに触れる時間が多くなりました。高校を卒業してそれなりに自分のお金と時間と行動力が増え、家族が行けないアウェイに私だけで行くこともあります。こんなにも熱中できるものに出会わせてくれた両親には本当に感謝ですね。決して「親の趣味に付き合っている」わけではありませんでした。
私の成長はアルビレックスと共にありました。アルビレックスは私の人生を楽しく豊かにしてくれています。
そして、アルビレックスを好きになって本当にたくさんの方々と繋がることができました。21歳の普通の生活ではこんなに多くの人と、そしていろんな世代の人と繋がることは出来なかったと思います。皆さんと一緒に応援することがすごく楽しいし、娘や妹のように可愛がってくれたり姉のようにしたってくれたり、こんなに幸せな環境はありません。これが私の日常だなんて、本当に誇りに思います。
…..と、つらつら書いてしまいましたが名乗るのも忘れていました。新潟市に住んでいます、もえかといいます。初めて書かせていただきました。
今年私は就活生です。来年社会人になって、どれほど休みと試合が被るのか、どのくらい試合に行けるのか分かりません。正直、今より行けなくなるんだろうな、生きていけるかな、、という不安が大きいです(笑)
でも、試合に行くことだけがサポーターではないと思っています。来年から、きっと大きく変わるであろう私のアルビライフ、行けるだけ行く精神は変えず、さらに熱量を持って愛を伝えていきたいなと思います!アイシテルニイガタ!
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